人の名前が出てこないのは・・・

物忘れ外来には、「人の名前がすぐに出てこないのです」と訴えて来られる方が多い。
しかしこれは、アルツハイマー病などにおける物忘れとは全く無関係の、正常な現象である。
ある日の昼過ぎ、ばったり出会った人から親しげに話しかけられる。
向こうは私が誰か良くわかっているらしいのだが、こちらは相手が誰なのか思い出せない。
顔には確かに見覚えがある。
中学か高校の同級生だったと思うのだが・・仕方ないので適当に相槌を打って、「じゃあ、ちょっと先を急ぐので」と切り抜ける。
一体誰だったのかなと思いつつも、名前を思い出せないまま一日が過ぎてしまう。
さて翌日の午後、昨日の出来事などすっかり忘れてしまっていたのに、突然思い出す。
そうだ、昨日出会ったのは小学校の同級生の小林君、じゅんちゃんだった!私の脳は、まる一日以上もの間、おじいさん顔になってしまったじゅんちゃんの顔を覚えていて、彼の名前を探し続けていたのだ。
そして、脳内に蓄えられていた膨大な数の名前の中から、「小林純一」すなわち「じゅんちゃん」の名前にたどりついたのである。
誰にでもある経験だ。
そういう時の脳は素晴らしい記憶能力を発揮している。
それまでの人生で出会った、何千、何万もの人々の名前をしっかり記憶に留めていて、それを何十時間もの間探し続けていたのだから。
これは、物忘れなんかではない。
素晴らしい記憶能力の証明なのである。

岩田 誠
(婦人の友社刊『明日の友』198号、2012年6-7月より)